作品という名のプールで泳いだら
- 関根 優実
- 2020年2月1日
- 読了時間: 3分
更新日:2023年6月23日

今思えば私の新年は祖父の絵を堪能することから始まった。私が小学6年の頃亡くなってしまった彼の絵は、人を描いたものが多かった。やはり人に惹かれながら生きていたんだなと自分との共通点に嬉しくなる。だけど私の描く線より彼の線が大好きだ。
大阪の祖母の家を出てから私は正月病にかかったので2週間は毎朝昼頃起床した。その度に靴紐が何度もほどける感覚に襲われた。後悔と諦観とをゆっくり泡立て器で混ぜたような感情だ。そんな中でもいいことはある。数少ない予定を最高に楽しもうと思えるのだ。「こなす予定は無いのも同じ」と思う。
数少ない予定の中に被写体の仕事があった。写真を撮る友人に被写体を頼まれ [聞いたことあるけど公園] に行った。凍えながらも一生懸命レンズを覗く。彼の技術はとても上達していたし、いい作品になっていた。その一部になれたことが嬉しかった。彼は「関根のお陰だ」と言ったが私にとって被写体は共同制作ではなく、やっぱり誰かの作品の一部だと思うのだった。
2020の数字になんだかんだ感動してしまい、一年の抱負をずらずらとお気に入りのノートに書いた。彼氏のお母さんからもらったヨーロッパ土産だった。書くたびに気合いが入る。しかし内容は非常に幼稚なものだった。午前中に起床するだの毎日新聞を読むだの,,,
彼氏に会いに行った五日間もあった。社会の荒波に揉まれるとはこのことか。二つ上の彼氏はもう就職をして働いているが、表情のバリエーションが会う度に減っているのだ。彼はタバコを吸う人間を懸念していた。池袋の喫煙スペースを眉間に皺を寄せながら歩く程だ。そんな彼の鞄からラッキーストライクが顔を出した瞬間は二人して吹き出してしまった。私は彼の膠着した顔の筋肉が緩まるならそれでいいと思った。
何と言っても今月は作品をたくさん観た。

ままごと『ツアー』『タワー』(1.25)演劇
バレンタインデー (1.26) 映画
青春の門(1.27) 友人出演の演劇
永遠のソールライター (1,28) 写真展
DOMANI明日2020 (1.29) 展示
DUMB TYPE (1.30) 展示
仮の声、新しい影 (1.30) 展示
MOTコレクション (1.30) 展示
プラダを着た悪魔 (1.30) 映画
これらは私の呼吸、身体の動き、神経、記憶をこれでもかと思う程支配した。それはまるで大嫌いな学校のプールの時間や、好きな人と行った市民プールの時間によく似ていた。身体中に浸透していくそれは、完全に乾くまで時間を要する。乾く前に言葉にしなくては。感じたことをノートに書き込んだ。
それにしても一体私は何故短期間でこんなにもたくさんの作品の元に足を運んだのだろうか。フリーになって早一年、私は一種のスランプに陥っているのではないだろうか。
「今月は幸せすぎた」ふとこんなことを感る。私は逆境に置かれている時最大級に制作意欲が湧く。では私は幸せから作品を展開できないのか。などともがいた結果、先人の思いを目の当たりにして自分の中に眠っている”作る”を再び目覚めさせたかった。何と不純な動機だったのだろう。書くもの書くもの気に入らなくて、出す言葉出す言葉に嫌気が刺す時、作る必要がどこにあろうか。作品という名のプールで泳いだら、私は作る意味を問う。
そんな
1ヶ月だった。
Thank you for reading!
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