ep10: personal
- 関根 優実
- 2022年9月25日
- 読了時間: 3分
更新日:2023年6月21日
Beyond Mandara
曼荼羅 -Who am I?- 11のモチーフが持つ物語。

先月完成した曼荼羅-Who am I?-は刺繍の作品。自分の為にお守りのようなものを作りたくて手を動かした。日々何を大事に思って何を活力にしているのか考え、私が幸せになるものを糸で描いた。面白いのは動くたびに新しい表情を見せるところ。生活に馴染む一枚に毎日元気をもらっている。
私の特徴の一つに、作ったものがすぐ「過去」になるというのがある。飽き性で、完成したものに興味が持てないのだ。どんどん先に進みたくなってしまうけれど、なんだかこれは勿体無いと思った。同時に寂しさも感じた。そこで、完成して終わりではなく新たなアプローチをし作品を存分に楽しみたいと思い「Beyond Mandara」を開催するに至った。9/7~27までの奇数日に曼荼羅に描いた11のモチーフを題材に書く「Beyond Mandara」。投稿は夜の6時。
EP10: 詩

「Beyond Mandara」EP10は詩。詩は私の主な制作物の一つ。私の人生において大事なパーツだ。詩や言葉に生きる意味を見出し、そこに自分の姿を映す。曼荼羅に入れたのはウィリアム・カルロス・ウィリアムズ作の、This is just to say. このHPのタイトルにもなっているこの詩とは、映画パターソンで出会った。こちらは私の大好きな映画の一つ。
This is Just to Say
I have eaten
the plums
that were in
the icebox
and which
you were probably
saving
for breakfast
Forgive me
they were delicious
so sweet
and so cold
人によってはただのメモ書きに思うかもしれない。しかしここまで洗練された、後味の長い余韻たっぷりの作品は他にないと思う。私が心打たれるものは、大抵個人的で一見すれば自分とはなんの関係もなく思える物語や事柄だ。広く大衆に向けたものや、しっかりしているようで漠然としたターゲット層を掲げるものからは多くのインスピレーションを得ることはできない。誰か一人でも、顔を想像しながら作られたものや本当に小さいけれどその人にとっては涙が溢れ出るような出来事、そんな個人的なものに惹かれる。
私は、自分に引き寄せて考えたり瞬発的に自分が感じた感情を大事に受け止めるのが苦手な人が多いこの世の中で作品を作るのが時に辛い。これはどういう意味なのか、いつの時代のものでどんなコンセプトなのか、そういったことに興味を持つのは間違いではない。しかしそこで終わらせることがどれほど勿体無い行為か、彼らはわかっていない。教科書のような知識を得て、知った気になりさらにその知識をひけらかす人間が多すぎる。作者の意図が答えではないのに。上部の情報を得て物事を把握した気になる前に、己の感じるものを把握し作品を自分のものにする一番大切な時間を何故もうけないのか。私はものを作る人間として、こんなふうに思ってもらわないと嫌だとか、こう感じるべきだとかそんなことは一切考えていない。全ての作家がそうかどうかは知らないが少なくとも私は、一切考えていない。この世には80億人もの人がいる。一つの作品が80億通りの捉え方をされて、80億通りの存在になればこれほど面白いことはないと思うのだ。自分が感じたものを面白がって、人が感じたものに興味を持てば、比べたり争ったり怯えたりしなくて済むのに。一般的な答えは私にとってクソほどどうでもいいことなのだ。失礼。まるで関心に値しない事柄なのだ。これからも自分が感じることをいちいち大事に愛おしく思って生きていきたい。
Thank you for reading.
▶︎最終回は9/27 火曜日 EP11 朝日
2022/09/25 18:00
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