遊具のティーカップ
- 関根 優実
- 2020年10月4日
- 読了時間: 3分
更新日:2023年6月23日
8月の忙しく詰めた予定を終えた九月初頭。私は行き場のない虚無感に襲われていた。表現したいことや作りたいものが全く浮かばないのだ。その時の日記がこれだ。
ーー7月の展示が終わって、あまりにも大きなコンテンツが自分から抜けきったから次が見えない。少し鬱っぽい。学びたいことはたくさんあるのに何から始めればいいのやら。コロナは終点の見えない長い長い電車のようで、彼に会いに東京にも行けない。発信する気力がない。snsの意味がわからない。あの子に手紙を書かないと。やらなきゃいけないことになって苦しい。海に行きたい。呑んで一人で未来について考えたい。満点の星空も見れたら嬉しい。思い切り、人の目を気にせず生きていきたい。キャミソールワンピースを一着買って、ノートとペンだけ持って海外に行きたい。ーー
支離滅裂で途方に暮れている様子が見て取れる。こんな余計なことを考えず表現したいことがどんどん降ってくる感覚は命と同じくらい奇跡的なものだったんだ。自分に自信が持てないとか、わからないとか言うことがあるけど、もうこの時はわかりたくもない、見つめたくもない。人生を一旦ストップさせたい。こんな感情だったように思う。
恩師が「もう、ものを作ることが作品じゃないと思う」とかなんとか言っていたのを思い出した。サワレナイ作品=概念芸術 私はこのことを考えすぎて、なんか作ることの滑稽さを感じ始めてしまった。生きているだけで、人は芸術作品だと思う。なんて格言、誰かが言ってなかったっけ??忘れた。
そうだ、旅に行こう。

そんな心境のまま、私は目的地のない目標のない旅に友の車に揺られながら行くことになる。九月の頭私たちはスマホを使わないのルール一つで旅に出た。
目的地がないのは不安だった。時計を見ないようにするのも初めは辛かった。毎晩寝泊まりする場所を探すのも大変だった。ある程度のストレスとともに四泊五日を過ごした。全て愛知県内だったが、まるで外国に来た感覚に襲われる瞬間があった。道も未知なので通りかかった人に聞くしかない。いったい何人と話をしただろう。沢山の個性的で親切な人間に出会えた。毎日の日記に事細かに出来事や感情を書き込む。時に描く。

途中私は思った。”目的のない旅” この言葉に違和感を感じる自分がいる。私はこの旅に本当に何も求めていないか?目的がないか?いや、あるなぁ。きっと想像以上にはっきりと。美術館に来場する客のように。初めから私は目的があった。「自分をリセットしたい、見つめ直したい」この気持ちがずっと宿続けていた。


旅の終わり、ノートには心強い言葉が沢山書かれていた。
そのどれもが、以前から知識として頭にあったものだった。あぁこれが ”理解した” と ”体感した” の違いなんだななんてしんみりなってしまった。


2020 9月30日
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